植田美津恵の「楽に死ぬための10の方法」

医学博士・医学ジャーナリスト 植田美津恵の書き下ろしエッセイ。月に1~2回連載します。

プロローグーなぜ、このテーマ?

人は、誰もが「生きたい」と思っています。

だからこそ、少し具合が悪かったり体調を崩したりすると、すぐにでも病院に行きます。もちろん、痛いとか辛い症状を何とかして欲しいという思いもあるでしょうが、いつ死んでもいいと豪語していた人が、体調を崩し不安に駆られ、慌てて病院を受診する姿をみるのは決して珍しいことではありません。恥じることはないのです。それが人間として、当たり前の姿なのですから。

 残念なことに、みずから命を絶つ人もありますが、そういう人々だってやむなき事情ゆえのことであって、本当はもっと生きたかったという思いが全くなかったわけではないでしょう。

 でも、どんなに生きたい要望が強くても、いつか人は死にます。死にたくないとひたすら願ったところで、こればかりはどうにもなりません。お金がいくらあったとしても、運命は容赦ないのです。

 権力者たちは、死なない身になりたいと願って、臣下たちにムリな命令を下します。秀吉しかり、秦の皇帝しかり、です。強大な権限を握ると、次は永遠の命が欲しくなる、不老不死を求めてしまうのは、人間の性なのでしょうか。

 

 医療が発達すると、人はなかなか死ねなくなります。

 医療は、人の命を救うことを大前提として発展してきましたから、ひたすら救命を目的として繰り広げられていきます。おかげで、日本人の寿命は半世紀の間に三十年も伸び、世界にさきがけていちはやく超高齢社会に突入しました。

 平日、田舎の路線バスに乗ると、それがよくわかります。乗客はほぼ全員が高齢者で占められているうえ、すべてがスローモーションで動いています。年を取ると、動作もゆっくりになりますから、乗り降りだけでも時間がかかるし、お金をやり取りするのもままなりません。

 しかも、高齢者はしばらくの間どんどん増えていくのです。

 そして、どんどん死んでいきます。

「少産少死」の時代から「少産多死」の時代へと急速な勢いで進んでいるのが、今の日本の現状です。

 

 今、生きている人は死んだことがないのですから、死を怖いと思うのは、ごく自然な感情です。

 そこで、「楽に死ねる方法」を考えてみたいと思いました。

 「楽」の意味は、色々です。

 悔いを残したくない。

 やり残したことを片付けておきたい。

 

 苦しみたくない。

 痛みを感じたくない。

 エトセトラエトセトラ…。

 

 死の準備として、「エンディングノート」というものがあります。生前、自分が死んだ後のために、葬式や資産、身の回りのことなどを色々と書き留めておくものです。遺書と違って法的な効力はないのですが、死の準備としてカジュアルに取り組めるのか、ここ最近よく耳にするようになりました。

 「エンディングノート」を書くことは、残された家族が困らないため、というのが主な目的ですが、本人にとっては「楽に死ねる」ための一歩なのかもしれません。なぜなら、やみくもに死を怖がるより、冷静に老いや死をみつめ、改めて死後のことをあれこれ書き留めることは、自分の気持ちの整理につながり、死への恐怖をやわらげてくれるからです。

 

 死は怖い。

 しかし、誰にでも確実に死はやってきます。

 そのときのために、今このときに、「楽に死ぬ」ためのノウハウに耳を傾けるのも悪くないのではないでしょうか。