植田美津恵の「楽に死ぬための10の方法」

医学博士・医学ジャーナリスト 植田美津恵の書き下ろしエッセイ。月に1~2回連載します。

「ラスト・ドライブ」のこと ー ドイツ発最期の願い(前半)

 私が、このブログを書くことを決めたのは、「ラスト・ドライブ」というドキュメンタリー番組を見たことがきっかけでした。

 ドイツの北西部の町、エッセン。

 番組は、「願いの車」と書かれた車が颯爽と走っている場面から始まります。 

 「人生の最期のとき、人は何を思いどこへ向かうのか」

というナレーションとともに。

 「願いの車」は、文字通り余命の限られた患者の願いを叶えることを目指す民間団体によって運営されています。

 3人のスタッフと80人のボランティアで構成され、これまで何人もの患者の願いと向き合ってきました。

 冒頭に登場するのは、84歳になるがん患者、マグダレーネです。気管支がんが脳に転移を起こしつつある末期患者ですが、彼女の最期の願い、それは「海に行くこと」と「北京ダッグを食べること」でした。

 ホスピスから連絡を受けたスタッフは、早速彼女の願いに応えるため、ホスピスの職員と打ち合わせをします。

 日程や、どこの海に行くのか、同行するボランティアを誰にするのか、具体的な話し合いが行われます。登録していたボランティアの中から選ばれたのは、終末期医療の看護師だった女性、引退したソーシャルワーカーの男性、救命士の男性の計3名。

 風の強い日に、マグダレーネを車いすのまま「願いの車」に乗せ、片道250㎞ 先の海に向かいます。

 末期患者といえば、寝たきりのまま酸素チューブやドレーンにつながれ、意識もほとんどない姿を想像する人も多いのではないでしょうか。

 しかし、マグダレーネは、移動こそ覚束ないものの、歩行器で歩き、たばこを吸い、言いたいことを口にします。かろうじて末期の状態であることがわかるのは、車の中でモルヒネのせいで喉が渇くと訴えるシーンだけです。

 海辺のカフェには、砂浜でも動かせるよう、専用の車いすが用意されています。それは、前もって打ち合わせをしていたわけではなく、カフェには以前からよく似たような患者が訪れるために、彼らが砂浜で過ごせるよう、より近いところで海が見れるよう、準備されていたものでした。

 砂浜でもたばこを吸うマグダレーネ。

 彼女のがんが元々気管支から発生していることから、きっと若いときからヘビースモーカーだったのでしょう。でも、誰もそれを咎めるどころか、むしろ率先して彼女が吸いやすいように強風から守ってあげたり火をつけてあげたり、するのです。

 日本の狂信的な禁煙運動家には、いかなる状態でもたばこを吸わせないと豪語する人がいますが、いかにそれが空しいことか、よくよく考えてもらいたいものだと思います。

 カフェの次に出かけたチャイニーズのレストランでは、希望通り北京ダックを口にします。スタッフらと4人で興じながら北京ダックを頬張る姿は、とてもがんの末期患者とは思えません。

 

 死んだ夫が浮気を繰り返していたこと、姑の世話もしたこと、貯金がなかったこと…、つらかった思い出を、初めて会ったボランティアスタッフ相手に滔々と打ち明けます。そして、

 

 「皆、死んでしまった。でも、私は生きている」

 

と、マグダレーネは堂々と胸を張って話すのです。

 

 海への「ラスト・ドライブ」から1週間後、同行したスタッフのひとり、元ソーシャルワーカーのペーターは、愛犬とともにマグダレーネの元を訪れます。犬を見たら、きっと喜んでくれるだろう、他に何か希望があったら叶えてあげたい。そう考えて自分の車を走らせます。

 ところが…。

マグダレーネは、それを拒否するのです。

 ―もう、何も希望することはない―。

そう言いながら、頭を墓地の方向に向けました。

死を受け入れたマグダレーネ。その前で、ペーターも、テレビの前の私たちも成す術のないことを思い知らされるのです。

 

 それから10日後にマグダレーネは息を引き取ります。

ラスト・ドライブから17日後のことでした。

 

死を受け入れた人間の強さと潔さがこころに残りました。

そして、そうさせたのは、間違いなく「願いの車」、つまり最期の夢を叶えたラスト・ドライブがあったからこそ、なのだと思います。

 

―後半に続きます。