「ラスト・ドライブ」のことードイツ発最期の願い(後半)
「願いの車」で最後のドライブをするのは、海や湖などの場所へ行く人ばかりではありません。
「自分の家へ帰りたい」と思い、「願いの車」を依頼する人もいます。人生の最期、場合によっては自宅へ帰ることさえ困難であることが、このことから伺えます。
日本でも、最期は家で、との国民の願いを叶えるべく、数年前から在宅医療に力を入れてきました。ここ数十年、生まれるのも病院・死ぬのも病院という人が大多数を占めているのが現実です。
何の疑問もなく、人生の始まりと終わりを病院任せにしてきましたが、本当にそれでいいのかという思いが表面化してくるとともに、終末期医療には莫大なコストがかかり、それが国民医療費に反映することから、国も最期は家で迎えることができるよう、本腰を入れ始めました。ただし、そのためのインフラ整備や国民の意識はまだ熟しておらず、理想は遠いままですが…。
「ラスト・ドライブ」の最後の登場人物は、50歳になるトレステンです。
1年前にがんが発覚。原発は胃がんでしたが、脳や肝臓・、肺など全身に転移した、まさに末期患者です。50歳とはいかにも若い。同じ職場の恋人と結婚を考えていましたが、今やそれも叶わぬ夢となりました。
ひとりでは起き上がることもできないトレステン。
彼のラスト・ドライブの行き先は、「ウンターバッハ湖」。デュッセルドルフから車でほど近い、とても美しい湖です。そこは、仕事が終わった後、毎日のように婚約者とデートをした思い出深い場所でした。
当日、スタッフが入院先のホスピスまで迎えに来てくれます。ストレッチャーのまま車に乗り込み、途中婚約者の職場に寄り、彼女と合流。トレステンの主治医も同乗し、湖まで車を走らせます。
湖畔のカフェにはすでに連絡済みですが、スタッフは、カフェで食事をしていた他の客にも、「願いの車」の説明をし、理解を求めます。
ビール、ワインに加え、大盛りのグリーンサラダに手を伸ばし、おいしそうに頬張るトレステン。前半で紹介したマグダレーネもそうでしたが、とても末期がんとは思えない食欲です。そばに寄り添う婚約者もひとときの安らぎを楽しんでいるかのようでした。
トレステンは、若いだけあって、時に悔しさをにじませます。
結婚もしたかったし、やりたいことはたくさんあったと。
「もっと、生きたかった。それが一番の願いだ」
淡々とした笑顔で話すトレステン。
湖畔のカフェで、婚約者の女性は語ります。
「彼の病気で、何もかもが変わってしまった。思い描いていた未来はすべて消えてしまった。でも、前より彼を愛しています。それだけは変わらない」
そして、
「(このカフェの中で)私たちは一番幸せね」
「また、来ましょうね。今度は外のテラスに座って。きっと来れるわ」と言い、
彼にそっとキスをします。
それが叶わない夢だと誰もが知っているのに、彼女の言葉に頷くトレステン。
寄り添う二人の姿の美しさに、胸が痛みます。
それから24日後に、トレステンは息を引き取ります。
後悔や思い残したことがあると、死を受け入れることはできません。
死を受け入れることができなければ、楽に死ぬことはできません。
死期の迫った患者に、後悔のないよう、最後のドライブを提供する、この試みは、「楽に死ぬ」ために、欠かせないと思いました。
しかし、日本ではこのようなシステムはほとんどありません。
ドイツでさえ「願いの車」はボランティア団体によって運営されているのです。
死を迎える場所だけでなく、死を迎えようとする人に何が必要か。肉体的な苦しみや精神的な辛さを回避して、その人らしい死に方をするにはどうしたらいいか。
そのヒントのひとつが「ラスト・ドライブ」にあったのです。