植田美津恵の「楽に死ぬための10の方法」

医学博士・医学ジャーナリスト 植田美津恵の書き下ろしエッセイ。月に1~2回連載します。

楽に死んでいった先人たちー仏教者たちの最期

楽に死ぬためのひとつの方法として、苦しまずに死んでいった過去の人々の死にざまを知る、というものがあります。

かつて、家で死ぬのが当たり前だった時代には、死ぬ有様を自分の目で見ることができました。でも、今や90%前後が病院施設で終焉を迎える時代。なんと医療従事者でさえ、人の死ぬのを見たことがないという人が珍しくないと聞きます。

 

死ぬ間際のことを詳しく記録されたものはそれほど多くはありません。まして、庶民についてはまずわからないでしょう。ただし、高貴な身分の者、歴史上有名な人についてはしばしば臨終の様子が文字として残されています。

医療が未発達の時代には、どのようにしたら極楽に行けるか、苦しまずに死ぬにはどうしたらよいか、の知恵を仏教の教えに求めた時代がありました。そこで今回は、庶民たちに往生の教えを流布してきた仏教者たちの終末期の様子を紹介したいと思います。

 

念仏さえ唱えれば往生できると説いて庶民から圧倒的な支持を得た法然法然の師であった源信、そして法然の弟子であった親鸞も、当時としては長寿で、しかも臨終時は苦しむ様子がなかったことが知られています。

 

源信は、仏教の経典から往生に関する文書を集め「往生要集」として著しました。どうしたら極楽往生できるか、を具体的に示したわけです。私が「楽に死ぬためにはどうしたらよいか」を書き綴るのとすこし似ています。いつの世も、楽に逝きたいと願うのは同じなのですね。

 

法然は、源信の教えをさらに発展させ、それまで極楽往生するには難行が必要だとする源信に対し、易行でも良しとしましたが、両者とも念仏を唱えることが往生への道だとする点は同じでした。さらに法然の弟子である親鸞は、念仏も必要ない、ただひたすらに阿弥陀仏様を信心することで極楽往生できるとしたのです。

 

3人のそれぞれの主張はともかく、ではそんな3人がどんな最期を遂げたのかを見てみましょう。

 

極楽往生するときの準備を詳細に説いた源信は、自分の最期を悟り、まず体や衣を洗い、鼻毛まで抜いて阿弥陀仏像の指に結わえた糸を手に取り、苦しむことなく入滅されたとあります。体を清めたのは、穢れた場には仏さまが迎えに来てくれないと信じたためでした。享年76歳。

 

法然は、枕を北にし、顔を西に向け、ひたすら念仏を唱えながら眠るように往生した、との記録があります。80歳のときでした。源信法然も現代並みに長生きであったことに驚かされます。法然は、弟子たちから阿弥陀仏様の指に5色の糸をかけ、もう一方の端を法然の指に結わうよう促されますが、それを拒んだといわれます。

 

さて、親鸞は90歳でその生涯を閉じました。高熱が出ても、当時の医療や看護を拒否し、やはりひたすら念仏を唱え、最期に「わたしが死んだら、鴨川に入れて魚に与えよ」との言葉を残し、静かに旅立ったのです。

 

この3人の共通点を考えてみましょう。

まず、3人とも高齢であったこと。自分の死が近いことを悟ったこと。ひたすら自分の信じる往生の方法(念仏)を貫いたこと。 

そして、何より当時の医療を受けていないこと、です。

 

彼らから学べることは次のように要約できます。

 

「みずからの死を悟ること」

「覚悟を持つこと」

「信心すること」

「無駄な治療をうけないこと」

 

この中で、現代の私たちにとって最も難しいのは「無駄な治療をうけないこと」でしょう。

 

次回からは、この点をもう少し詳しく考えてみたいと思います。