植田美津恵の「楽に死ぬための10の方法」

医学博士・医学ジャーナリスト 植田美津恵の書き下ろしエッセイ。月に1~2回連載します。

「無駄な治療を受けない」とはどういう意味か?-②

ひとくちに「無駄な治療」が、具体的に何を意味するのか、あらかじめ知っておくことも大切です。

今回は、ずばり!「無駄な治療」(延命治療)を挙げていきたいと思います。

 

この場合、対象者は「終末期にある患者」です。つまり、末期のがんなど、すでに死期が近づいている場合です。

 

①「呼吸停止時の挿管や人工マッサージ」

死期を迎えた患者は、呼びかけても反応がなく、呼吸は下顎呼吸(息を吐く時間が長くなり、徐々に呼吸の回数も少なくなります)となり、そのうちに呼吸が止まります。そのような時に、無理やり挿管をして気道を確保し、人工呼吸器をつける…、意味がありません。また、患者の上に乗り、心臓部分を強く圧迫する人工マッサージも必要ありません。

 

②「昇圧剤や輸血投与」

終末期の患者は、死が近づくにつれ、血圧が下がり、脈は触れなくなっていきます。だからといって、血圧を上げる昇圧剤や輸血をするのは、無駄な治療以外何ものでもありません。

 

③「吸引」

自分では喉にからんだ痰を吐き出せないために、管で定期的に痰を取る吸引。これもただ患者を苦しめるだけです。

 

④「高カロリー輸液の点滴」

死の近い患者に栄養を与えて何になるのでしょう。

 

⑤「胃ろう」

これについては、賛否両論あります。私の身内も、胃ろうのおかげで数年間生きることができた、と喜んでいましたから、「無駄」といわれることに反発を抱くかもしれませんが、あえて私は「無駄」とします。

 

⑥「経鼻栄養」

④⑤⑥は、同じ意味があります。口から食べられなくなったので、点滴や胃、そして鼻にチューブを入れて栄養をただ体内に入れる行為です。

私ごとですが、父が亡くなったとき、長い闘病生活だったにも関わらず、父の体には傷ひとつ、穴ひとつありませんでした。それは無駄な延命治療をしなかったことの証だと思っています。

最後は、血圧がゼロ、つまり測定不可能という状態にあっても尚、まだ意識がありました。話すことはできませんでしたが、しっかりと周囲を見据えつつ、静かに横たわり、そしてその数時間後に息を引き取りました。

 

母の場合は、死期が迫っていてもまだ元気でしたから、本人の希望もあって高カロリー輸液を行いました。しかし、口から食べることは一切禁じられ、母は「食べられないのは地獄だ」と言っていました。

いよいよ最期が近づいたとき、意識はもうないのに、定期的に吸引をしようとするナースに対し、「やめてください」とお願いしました。吸引しないと、痰が詰まって息が止まりますよ、と言われましたが、それで結構です、と伝えました。痰の吸引は、とても見るに堪えません。たとえ、それで死期が多少早まったとしても、この判断は良かったと今でも思っています。

 

これまで誰かの最期に立ち会ったことがあるなら、それがどんな最期だったか、患者にとって苦痛で無駄な治療はなかったか、一度考えてみることをお勧めしたいと思います。