植田美津恵の「楽に死ぬための10の方法」

医学博士・医学ジャーナリスト 植田美津恵の書き下ろしエッセイ。月に1~2回連載します。

死のイメージ化―具体的に想像してみる

2001年に発表された論文で、「死に至るまでの経過」が紹介されています。

図で示すと次の3つに分類されます。

 

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まず、①。これは、がんなどで亡くなる場合です。ほかと比べると、割に長い間機能が保たれますが、最後の1~2か月くらいで急速に機能が低下し、死に至るケースです。

 

次に②.こちらは、心臓や肺の病気の末期を表しています。悪くなったり良くなったりを繰り返しながら、徐々に機能が低下し、最後は急な経過をたどります。

 

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そして、③です。老衰に代表されるケースですが、ゆっくりと少しずつ機能が低下していくパターンです。

 

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実際は、すべての人が①~③のどれかに当てはまるわけではありませんし、例外もあるでしょうが、あくまで一般的平均的な「死へのプロセス」を単純図式化したものとお考えください。

身近で、死にゆく人と接したことがあるなら思い出してください。

その人はどんな病気で、どんな風に最期を迎えたのか―。

私の母は、大腸がんが再発したとき、余命半年と言われました。大腸がんは予後の良いがんですが、再発となると少々厄介なものです。思ったよりがんの進行が早く、みるみるうちに痩せていき、口からモノを食べることができなくなりました。できなくなったというより、食べたら閉塞を起こして死ぬから食べてはだめと病院側から言われてしまったのです。

そこで、鎖骨あたりから持続的な点滴を入れて、そこから栄養を投与する方法を選びました。自宅で過ごしていたので、毎日訪問看護師が来て処置をし、時々在宅の医師が診察をし、薬局からは薬剤師が痛み止めを持ってきてくれました。食べることができないだけで、あとは至って元気ですが、やはり徐々に弱っていくのは目に見えてわかりました。

最後は、高熱を出し、意識がもうろうとなったので、救急車で病院へ運んでもらいました。なるべく自宅で過ごし、もう限界となったときに病院へ行く、というのはあらかじめ本人が決めたことでした。搬送された病院では、意識がはっきりしているときもあればほとんど昏睡状態にあるときもあり、そして入院5日目に亡くなりました。これはケース①です。

一方、父は色々な病気を持ってはいましたが、明らかに③の経過をたどりました。原因はわからないけれど、少しずつ痩せが目立ち始め、食べることができなくなり、全体の動きが鈍くなりました。最後まで意識も知能も明瞭でしたが、延命医療は拒否していたので、まさに枯れ木のごとく、静かに亡くなっていきました。

繰り返しになりますが、例外はあるものの、病気で死を迎えるにあたっては、多くは①②③のどれかに当てはまるのことが多いように思えます。

 

なぜ、このような話をするかといえば、現在は病院や施設で死を迎えることが多いため、人が死ぬところを観察することがなかなか難しいからです。これは極めて残念なことです。

楽に死ぬためには、死に対する恐怖を消さなければなりません。恐怖を覚えないようにするには、死ぬとはどういうことか知らなければなりません。死を知らずにして死を恐れないというのはとても困難だと思うからです。

 

いわば死のイメージ化です。

もちろん、どんな風に死を迎えるかは誰にもわからないことですが、家族歴や既往歴を見直してみれば、確率としてどんな病気に罹るのかは、あらかじめ推測ができます。

家族にがんが多ければ自分がそうなる可能性は高いし、心臓や脳卒中の人が目立つようならば、これまた自分も同じ病気になるリスクは増大するでしょう。ヘビースモーカーなら、がんも心臓病も覚悟しておかなくてはなりません。

恐怖を打ち消すためには、恐怖の対象をよく知っておく。

これは、楽に死ぬためのルール、第一歩といえるでしょう。

プロローグーなぜ、このテーマ?

人は、誰もが「生きたい」と思っています。

だからこそ、少し具合が悪かったり体調を崩したりすると、すぐにでも病院に行きます。もちろん、痛いとか辛い症状を何とかして欲しいという思いもあるでしょうが、いつ死んでもいいと豪語していた人が、体調を崩し不安に駆られ、慌てて病院を受診する姿をみるのは決して珍しいことではありません。恥じることはないのです。それが人間として、当たり前の姿なのですから。

 残念なことに、みずから命を絶つ人もありますが、そういう人々だってやむなき事情ゆえのことであって、本当はもっと生きたかったという思いが全くなかったわけではないでしょう。

 でも、どんなに生きたい要望が強くても、いつか人は死にます。死にたくないとひたすら願ったところで、こればかりはどうにもなりません。お金がいくらあったとしても、運命は容赦ないのです。

 権力者たちは、死なない身になりたいと願って、臣下たちにムリな命令を下します。秀吉しかり、秦の皇帝しかり、です。強大な権限を握ると、次は永遠の命が欲しくなる、不老不死を求めてしまうのは、人間の性なのでしょうか。

 

 医療が発達すると、人はなかなか死ねなくなります。

 医療は、人の命を救うことを大前提として発展してきましたから、ひたすら救命を目的として繰り広げられていきます。おかげで、日本人の寿命は半世紀の間に三十年も伸び、世界にさきがけていちはやく超高齢社会に突入しました。

 平日、田舎の路線バスに乗ると、それがよくわかります。乗客はほぼ全員が高齢者で占められているうえ、すべてがスローモーションで動いています。年を取ると、動作もゆっくりになりますから、乗り降りだけでも時間がかかるし、お金をやり取りするのもままなりません。

 しかも、高齢者はしばらくの間どんどん増えていくのです。

 そして、どんどん死んでいきます。

「少産少死」の時代から「少産多死」の時代へと急速な勢いで進んでいるのが、今の日本の現状です。

 

 今、生きている人は死んだことがないのですから、死を怖いと思うのは、ごく自然な感情です。

 そこで、「楽に死ねる方法」を考えてみたいと思いました。

 「楽」の意味は、色々です。

 悔いを残したくない。

 やり残したことを片付けておきたい。

 

 苦しみたくない。

 痛みを感じたくない。

 エトセトラエトセトラ…。

 

 死の準備として、「エンディングノート」というものがあります。生前、自分が死んだ後のために、葬式や資産、身の回りのことなどを色々と書き留めておくものです。遺書と違って法的な効力はないのですが、死の準備としてカジュアルに取り組めるのか、ここ最近よく耳にするようになりました。

 「エンディングノート」を書くことは、残された家族が困らないため、というのが主な目的ですが、本人にとっては「楽に死ねる」ための一歩なのかもしれません。なぜなら、やみくもに死を怖がるより、冷静に老いや死をみつめ、改めて死後のことをあれこれ書き留めることは、自分の気持ちの整理につながり、死への恐怖をやわらげてくれるからです。

 

 死は怖い。

 しかし、誰にでも確実に死はやってきます。

 そのときのために、今このときに、「楽に死ぬ」ためのノウハウに耳を傾けるのも悪くないのではないでしょうか。

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